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第2話:さらば大阪、本州最北端青森県で初勝負

寝台特急日本海

季節は10月。半袖でも長袖でも気持ちよく過ごせる、1年で最高の季節。

しかし、当時の私だけは、世間の楽しげな空気から完全に「取り残されてる」と感じていました。

これから、いったい何処へ向かえばいいのか。
家もなく、仕事もなく、大阪駅の雑踏の中でどれだけ考えても、どうにもならない現実がそこにありました。

タカ

当時の私には『もう一度どこかで働く』という選択肢はありませんでした。何もかもが嫌になっていた自分がいて、生きるために選んだ唯一の道が、このスロット一人旅だったのです。

タカ

第1話の記事を合わせて読むと、今回の旅の始まりがより楽しくなるよ!
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持ち物は、20万円ほどの現金と、下着や着替えが少し入った小さなカバン一つ。
当然、今のように連絡を取り合える便利なツールはありません。

【当時の時代背景】
この時代は携帯電話もスマホもない時代でした。日本で携帯電話が一般的に普及し始めるのは、ここから約10年後の2000年頃のことです。

行く場所も、あてもない。
大阪駅のベンチに座ったまま、何もできずに気づけば1時間以上の時が流れていました。

目次

決断!!大阪駅を出発

大阪駅のベンチでグダグダと考え込んでいたら、周囲の景色はすでに夕方へと変わっていました。

いざ動き出すのが怖い自分と、今すぐ動かなくてはならない自分とが
ここ数時間ずっと心の中で激しく戦っている状況でした。

しかし、立ち止まっていても誰も助けてはくれません。
「とりあえず、ここから離れよう」私は歩き出しました。

構内をふと見上げると、そこには1つの「文字」が光っていました。

列車案内板に書かれた、「青森」の文字。
そこへ向かうのは、「寝台特急日本海」でした。

タカ

大阪でダラダラとホテルに泊まって無駄にお金を払うくらいなら、いっそのこと誰も知らない見知らぬ土地へ行ってしまえ!!

そう思った私は、気づけば吸い寄せられるように「みどりの窓口」へ向かい、青森行きの切符を購入していました(笑)。

不思議なもので、一度切符を買ってしまえば、あれだけ悩んでいた気分がガラリと変わりました。
「悩んだときは、勢い任せで飛び込むことも大事なんだ」と身をもって学んだ瞬間でした。

もし、私のブログをご覧の方で「あと一歩」が踏み出せない方がいるなら、是非、勢いで色んな事に挑戦してみてほしいです!
勢いで飛び込めば、後はやるしかない状況になるので、どんどん前へ進めますよ!

切符を握りしめたものの、列車が発車するまではまだ約2時間もありました。
行く場所が決まった途端、今度はその発車時刻までの待ち時間が、本当に長く感じられるのです(笑)。

私は駅弁を買い、煙草とジュースも買い込んで準備を万端に整えました。
当時はまだ、列車の座席でも煙草が普通に吸えた時代。おまけに煙草の価格も、まだ200円台という安さでした。

退屈な時がゆっくりと過ぎ、ついに発車30分前をむかえました。

初めての寝台特急と、深夜の自問自答

人生で初めて乗り込む、寝台特急

どんな列車なのだろうと期待を膨らませて車内へ足を踏み入れたのですが、現実は・・・

ものすごく狭い!!(大爆笑)

通路の左右に、2段ベッドが向かい合わせで並んでいる空間でした。💦

幸いにも私の場所は下段だったので、まだマシな方でした。
上段の人はハシゴでの上り下りがある上に、横になるとすぐ目の前が天井という、かなり窮屈な仕様になっていたのを覚えています。

やがて、ホームに発車のベルが鳴り響きました。
いざ、青森へ向けて――。機関車に引かれた青い客車が、「ドスン!」と重い音を立ててゆっくりと動き出しました。

走り出した直後は、買い込んだ駅弁を食べ、ジュースを飲みながら「よし、これから旅が始まるぞ!」と気分も最高潮でした。
しかし、列車が大阪を離れ、夜の闇の中をどんどん加速して走るにつれて、心の中に別の感情が湧き上がってきたのです。

それは、果てしない「不安」でした。

ガタゴトと揺れる列車、窓の外の暗闇、見慣れぬ景色をただじっと見つめながら、私は煙草を吸いながら、何度も何度も自問自答を繰り返していました。

タカ

そうだぁ・・・。
これから私は、誰の力も借りず、たった1人で生きていかなくてはならないんだ。
もし、手元にあるこのお金が無くなったら、俺は一体どうなるんだろう……。
本当に生きていけるのか……?

押し寄せる恐怖に耐えかねて、私は自分のベッドに戻り、財布の中身をベットに広げ残金を確認しました。

中身は、20万円と、小銭が少しあるだけ。
これが尽きれば、私の人生はそこで本当に終わりです。

「いや、落ち込んでいても始まらない。あとはやるしかないんだ!!」

まずは青森に着いたら何から始めるべきか、この狭いベッドの上で、一晩中じっくりと作戦を練ることにしました。

寝台列車での誓いと、果てしなき北上

狭いベッドの中で、私はこれからの「生き残り」を賭けた、いくつかのマイルールを心の中で静かに決めていきました。

  • スロットを打つからには、目押しを完璧にマスターする!
  • 宿泊代は出来る限り抑える!
  • 寝台列車で移動する場合は、個室にする!
読者

ちょっと待って!寝台列車の個室移動は贅沢すぎるでしょ!!

タカ

実はね、B寝台の個室(ソロ)がある寝台列車は、普通の2段ベットと料金が同額か、たった2千円ほど高いだけなんだよ!

タカ

ちなみに、みんながイメージする贅沢な『A寝台』はB寝台の倍ほどの料金がするから、もちろん当時の私には手が出せなかったけどね(笑)。

読者

へぇ〜!料金がほぼ変わらないなら、大荷物(小さなカバン)を守るためにも個室の方が絶対に安全だし、体もしっかり休まるね!

まずは簡単なことから始めてどんどんレベルアップしていくぞぉ!!

今振り返っても、生き抜くための知恵とやる気を、どうして仕事に向けられなかったのか、自分でも本当に不思議です。
ただ、人生の方向性が周りのみんなと少し違っただけなんです・・・。
はい、完全な言い訳です(笑)。

そんな作戦会議を終えてようやく眠りにつき、「朝起きればもうそこは青森県だ!」と期待して目を覚ましました。しかし、なんと到着予定はお昼前。
朝の5時にパッと目が覚めてしまったのですが、目的地まではまだ約7時間もあるという過酷な現実を知ります。

青森駅は、いったいどんな所なんだろうか・・・
駅前には、ちゃんと人がいるのだろうか・・・。
パチンコ屋は本当にあるのか??
宿代は安いのか???

次から次へと疑問が浮かんできましたが、まず一番大事なことは「負けないこと」

単純に、毎日の宿代とご飯代はスロットで稼ぎ出さないと、全財産20万円は確実に減っていきます。
毎日勝ち続けるのは絶対に不可能だからこそ、いかに無駄な出費を節約しながら所持金を維持し、増やしていくかが生死を分けます。

そんなシビアな計算をしていると、車内に「まもなく秋田駅です」というアナウンスが流れてきました。
「おお、青森駅まではあと少しだな!」と思って腕時計に目をやると、時刻はまだ朝の9時・・・。

タカ

秋田駅から青森駅まで、ここからさらに3時間もかかるんかい!!(笑)
本当に勉強になります!!

列車は秋田駅を静かに滑り出し、いよいよ運命の終着駅・青森へと向かっていきました・・・。

大阪から約14時間青森県でいざ勝負

大阪駅を出発してから実に14時間ほどが経ち、列車はようやく終着の青森駅へと到着しました。
駅前に降り立つと、そこには港町らしい雰囲気の商店街が広がっており、人はまばらでしたが、私にとってはどこか落ち着く良い感じの街並みでした(笑)。

【当時の青森駅前の様子】
青森駅前にはロータリーがあり、線路沿いに2店舗の大きなパチ屋がありました。
旅の最初に降り立った駅なので、今でもよく覚えています。
店名は「クィーン」と「キング」。
さらに商店街の中にも、もう1店舗、少し変わったパチンコ屋がありました。

驚いたのは、営業時間の違いです。私がそれまで打っていた兵庫県の西明石は朝10時オープンでしたが、ここ青森は朝9時開店だったのです。

まずは情報収集のために、線路沿いにあるお店の自動ドアをくぐりました。
すると店内の光景に、私は思わずビックリ!!

めちゃくちゃメダルが出ていて、店内はお客さんで超満員。
旅人の私からすると、少し怖いと感じるほどの独特な熱気と鉄火場の雰囲気がそこにはありました。

普通のスロット打ちなら「よし、勝てる!」とすぐに飛びついて打つ状況。
しかし、当時の私はその熱気に圧倒され、なぜかお店を出て商店街の方へと歩き出してしまったのです。

タカ

時計の針はお昼過ぎ。
お店が盛り上がっているのは一目瞭然なのに打たなかったのは、正直に言うと、記念すべき旅の初戦で『負けるのが怖かった』だけです(笑)。

商店街の中に入ると、もの凄く小さなパチンコ店を見つけました。
設置台数は50台もなかったと思います。
このお店はなんと「朝8時開店・夜9時閉店」という変則的な営業で、お客さんは3名ほどしかおらず、先ほどの大繁盛店とは打って変わってとても静かなお店でした。

平成3年当時は朝8時開店のお店や、朝9時開店のお店など、営業時間が県内や地域で統一されていなかったんだね!!
携帯がない時代、こういうローカルルールを自分の足で知るのも旅の醍醐味でした。

そんな小さなホールを横目に、さらに駅前を離れて道路沿いを1時間ほど歩き続けた時、ついに「ある場所」を発見しました。

24時間営業をやっている、健康ランドです!

読者

タカさん!
スロットで生きるって決めたのに、勝負の前に今夜の寝床(健康ランド)を探してどうするの!!

タカ

いや、パチンコ屋を探さないと駄目なのは分かってるんだけど、宿が決まらないと落ち着かなくて・・・(笑)。

道路沿いには、飲食店やスーパーなどがずらりと並んでいました。
青森県民の方には失礼ですが、想像していたよりも意外にお店が多く、正直とても驚きました。

もちろん、その幹線道路沿いにも大きなパチンコ屋はしっかりと存在していました。

「よし、もう逃げ隠れはナシだ。腹をくくろう」

私は再び駅前へと戻り、先ほど目をつけていた大繁盛店「キング」に足をふみ入れました
手元にある20万円の全財産を握りしめ、
いよいよ私のスロット一人旅、記念すべき「初勝負」が始まります。

平成3年当時はスロット「2号機から3号機へと移り変わりの時」でした。
この3号機は裏物(違法改造機)だらけだったため、歴史的にはわずか2年しか続きませんでした。
ですが、ワイルドキャッツ、スーパープラネット、グレートハンター、アラジンⅡ、ムサシⅡ、コンチネンタル1から4、ペガサスEXA、ドリームセブン、アポロン、トライアンフなど、今でも語り継がれる名機がたくさん登場した熱い時代です。

生きるための戦い、青森県で初勝負

大阪から14時間かけて辿り着いた、本州最北端の青森。
手元にある全財産は20万円と小銭が少し。

ここから私の「生きるための戦い」が始まる。

タカ

負ければ地獄!!
見知らぬ土地での初勝負!!
勝つしかない!!

重い足取りで入った「キング」という名のホール。

青森の言葉と独特の雰囲気の中、圧倒されながらも
私は名機スーパープラネット(スープラ)の前に座った。

レバーを叩く手に汗がにじむほど気合が入る!

もしここで大負けしたら、旅のスタートラインで即終了だ。
財布から千円札が消えていくたび、心臓の鼓動が速くなる。

投資7千円目

美しい出目が私の目の前に舞い降りてくれた!!
下段に7、BAR、7、中段ベル外れの美しいリーチ目がついに出てくれた!!

タカ

本当に千円札が消えていくたびに心臓が痛かったよ
ここでもし大負けしたら終わりだからね!!
とりあえずBIGかREGの当たりは確実!!

目押しはなんとか出来るレベルの私!!
どんどんレベルUPしていかなくては・・・

スープラの響きのいい音が流れるBIGスタート
投資がとりあえず7千円で済み
張りつめていた緊張がほんの一瞬だけ緩んだ。

だが、まだマイナス!!
頑張らなくては負ける!!

焦りと閉店時間が着々と迫る中、持ちコインで耐えしのぐ。

そこから閉店1時間前まで粘り、なんとかボーナスを重ねて
約1万円分のコインを流すことに成功。
投資7千円、回収1万円。
差引3千円のプラス。

タカ

初戦!!
なんとか勝ったぞ!!

よし、なんとか初戦を乗り切った・・・のか???

しかし、すぐに「現実」が突きつけられる。

普通なら3千円プラスの勝利だが
私には帰る場所が無い
これから毎日掛かる宿代と飯代は最低勝たないと勝利とは言えない。

今夜は歩いて見つけた24時間やっている健康ランドで宿泊。

今夜の宿代と、お腹を満たすための飯代。
それらを支払うと、手元から5千円が消えていった。

スロットでは3千円勝ったのに、1日のトータル収支はマイナス2千円。

これが、これから私が生きていく「スロット一人旅」のリアルな日常だな。
財布の残金は、19万8千円と小銭が少し。

青森の夜風は、大阪よりも少し冷たく感じた一日だった。

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